唯川恵の『とける、とろける』を読んだ

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年末、同い年の知人の離婚を人づてに聞いた。

知人は東南アジア駐在、その奥さんは欧米駐在と、距離が離れていて難しかったのだろうか。

20代も半ばを終え、知人の結婚、出産を聞くのは日常になり、今度は離婚話を聞くことが少しずつ出てきた。

 

 

とける、とろける (新潮文庫)

とける、とろける (新潮文庫)

 

 

年末年始の帰省の間に、本を2冊読んだ。

そのうちの1冊がこの唯川恵の9つの短編小説──そのすべてが30代前後の女性が主人公である物語──が収録された『とける、とろける』。

 

恥ずかしいことなんて何もない。彼となら、何でもできる──。幸福な家庭を守りたいのに、気の遠くなるほどの快感とオーガズムを与えてくれる男と出会ってしまった女。運命の相手を探すため、様々な男と身体を重ねていく女。誰にも知られずに、秘密の恋人と痺れるようなセックスを楽しむ女。甘やかで、底知れない性愛の深みに堕ちていく女たちを描く、官能に満ちあふれた九つの物語。

 

9つすべてで不倫や浮気ををする。

事情は様々だけれど、生活に何らかの不満や物足りなさを持つ人々が実際にそして時に妄想の中で性行為に及び、その不満や物足りなさを埋め合わせていく。

実際には作中に性描写はほとんどないのだけれど、いや、ないはずなのだけれど、実際に描かれている以上に心に迫り、そして心を揺さぶる。

何気ないように見える描写にも意味が込められていて、20~30ページ程度の一つのお話を読むだけで体力を使うし、読み終わるととてつもない疲労感が残る。

これはひとえに唯川恵のすごさなのだと思うのだけれど、それでもやっぱり心が穏やかでリラックスしているときに読まないと苦しい。

確かにどんどん読み進めて行きたくなるぐらい面白かったのだけれど…あまり人に勧められる作品ではない。

 

 

ここからは一つの話を紹介します。若干のネタバレを含みます。

 9つのうちの一つの話「みんな半分ずつ」から。

小さなアパートで身を寄せ合うように過ごした、あの日々。

ベッドはシングルをふたりで使っていた。窮屈であることが幸せだった。朝は、揃いのカップにコーヒーを注ぎ、マーガリンを塗ったパンを一切れ、半分に分けて食べた。ケーキでも、バナナでも、おにぎりでも同じだった。どんなものでも平等に分けあった。

すべてにおいて独り占めするようなことはなかったし、相手に与えてしまうことも、委ねてしまうようなこともなかった。

「はい、半分ずつ」

それは、愛してると同義語だったはずである。 

こんな様子で、何もかも──食べ物も、仕事も、喧嘩も、そしてセックスも──半分ずつ、分かち合って生活していた夫婦が夫の不倫によって離婚する。

夫は半分ずつ分け合った生活、平等であること、そして対等であることが嫌だったという。

「対等って本当に嫌な言葉だな。…君にはわからないかもしれないが、女が対等って言葉を使う時は、すでに優位に立ってるって宣言してるとおなじなんだよ。対等なんて、男を見下した言葉だ」

追い打ちをかけるように、夫の不倫相手の若い女性は主人公に対して吐き捨てる。(これがこの短編では唯一の性描写)

「先生って、ベッドの上でも対等じゃなきゃイヤだったんですってね。…自分が上になったら、次は先生が上になる。…縛ったら縛られて、…攻めたら攻められる。いつもそんな感じで、もううんざりだって。…こんなこと言っちゃ何ですけど、私なんか、私がなにかする余裕もないくらい、毎晩康人さんにめちゃくちゃにされているんです。…でも、それが女ってものじゃないかしら。」

離婚後、荷物を取りに来た元夫。

「懐かしいな、古いインテリア雑誌だ。捨てるのはちょっともったいないな、これも半分ずつにするか」 

この元夫の台詞を受けて、主人公はこれまでと同じように、何もかもを半分にして、自分のものにする。元夫の荷物も、心も、そして身体も。