東京という街

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学生時代、京都に住んでいた。

今では年中観光客が溢れ、街のインフラのキャパを超えているとも聞くが、当時の京都は桜や紅葉の季節こそ観光客で溢れているものの、その時期を除けば静かで落ち着いた街だった。生活もしやすく、ほどよく自然もあり、京都で暮らし続けたいと思っていた。

京都で過ごした学生生活がとても充実していたことも、そう思わせる理由の一つであったに違いない。

 

就職を機に京都を離れ、東京に来た。

仕事や東京での生活で辛いことや上手くいかないことがあると「京都に帰りたい」と考えていた。特に、社会人1年目、2年目はうまくいかないことが多く、京都に帰りたくて仕方がなかった。

しかし、京都を離れて3年が経つ頃には「京都に帰りたい」とあまり思わなくなった。

 

東京の街は正直あまり好きではない。人に溢れ、電車は混むし、自然はほとんどない。

カフェに入れば人が一人通るのがやっとという間隔で机と椅子が所狭しと並び、土日は座席が空いていることの方が珍しい。

予定どおりに事を運びたければ、食事に行くにも病院に行くにも予約が必須だ。

演奏会や展覧会が数多く開催されるのは嬉しいが、これもまた人で溢れている。

 

それでも京都に帰りたいとあまり思わなくなったのは、友人たちが京都を離れたことも一因ではあろうが、それ以上に次第に心が東京生活を受け入れるようになったのだと思う。

でも、今後何かの拍子で東京を離れたとき、「東京に帰りたい」と思うことは一度でもあるのだろうか。友人がいる点を除けば、きっとそう思うことはないだろう。

そのとき、僕の帰りたい場所はどこになるんだろうか。

 

 

 

という記事を書き、読み返して推敲もしたのだが、自分自身で読んでも自分が思っていることを的確に言語化しているとは思えない。

ましてや、普段発するその場限りの言葉は本当にあてにならないし、それを他者が聞けばもっと違った理解をしてしまう。恐ろしいことだ。